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【PR記事 一度は泊まってみたい宿】 故郷・庄内に、ニッポンの温泉旅館の原点を見た気がする。湯田川温泉の九兵衛旅館。 山形県鶴岡市
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2021.12.22 Wednesday 00:00
【PR記事 2021.12.22 一度は泊まってみたい宿】
故郷・庄内に、ニッポンの温泉旅館の原点を見た気がする。湯田川温泉の九兵衛旅館。 山形県鶴岡市
2014年05月19日初回掲載
2021年12月22日加筆修正
少し前の話となるが、2014年4月、東京都内にオープンしたカフェダイニング「UMI YAMA HATAKE(うみやまはたけ、2018年に閉店)」のオープニングレセプションを取材する機会があった。
同店は、全国の小規模旅館20軒で構成する「一の宿倶楽部」とのコラボレーションにより、地域の食材にこだわった「他では味わえない新しい食体験」を提案するという、いわば温泉地のアンテナショップ的な店舗である。
レセプション当日は同倶楽部の「宿主」も多数出席、普段は聞くことができない「経営者」の話を聞くことができたのだが、偶然にも?最も印象に残ったのは、同郷・庄内の温泉旅館の宿主だった。
その温泉旅館とは、鶴岡市の奥座敷・湯田川温泉にある九兵衛旅館(くへいりょかん)である。
同じ鶴岡市内には、日本海に面し、中高層の温泉ホテルが建ち並ぶ湯野浜温泉があり、華やかな印象があるのに対し、一方の湯田川温泉は平野と山地の境界線に広がる、どちらかと言えばこじんまりとした温泉街。
同郷とは言っても「隣の市」ということもあり、正直、これまであまり縁のある温泉街ではなかった。
湯田川温泉は開湯1,300年という、山形県では3番めに古い温泉。
かなり以前に、古びた銭湯のような日帰り入浴施設を訪れたことがある。
「山間の湯治場」というほどひなびた感じではないが、湯野浜温泉に比べると、やはり「落ち着いた奥座敷」と言った印象が強い。
そんな湯田川温泉にある九兵衛旅館は、一見すると「強い主張」があるようには見えない。
館内で特徴的な場所と言えば、浴室の壁面で金魚が泳ぐ水槽くらいだろうか。
しかし、利用者がこの宿に求めているのは、ビジュアル的にひと目をひく「飛び道具」や、奇をてらった「ウルトラC」ではないようだ。
基本は、あくまでも「庄内の旬の恵みと柔らかな湯田川の湯」。
日本古来の「温泉旅館文化」というか、「おもてなし」のようなものを、忠実にアウトプットしているように見える。
湯田川温泉自体がそうであるように、派手さは無いが安定感のある「やすらぎ」が得られそうだ。
なお、一見すると「強い主張」があるようには見えないのだが、実はメディアへの露出という点では、その「主張」はかなり強い。
女性誌やテレビ番組などに登場する機会も多く、某大物タレントなども「お気に入り」と評しているようだ。
自分より1つ年上という宿主の「戦略」と、既存メディアでは表現し切れない、おもてなしの「息づかい」のようなものを感じとるためにも、「一度は泊まってみたい宿」だと思った。
宿泊予約は
九兵衛旅館
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【PR記事 一度は泊まってみたい宿】 こんな時代だからこそ、フルサービスの「シティホテル」にこだわる東京第一ホテル米沢。 山形県米沢市
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2021.08.02 Monday 00:00
【PR記事 2021.08.02 一度は泊まってみたい宿】
こんな時代だからこそ、フルサービスの「シティホテル」にこだわる東京第一ホテル米沢。 山形県米沢市2012年07月21日初回掲載
2021年08月02日加筆修正
山形県の南端に位置する城下町・米沢。
同じ山形県でも、遠く離れた日本海側の港町で育った自分には、近くて遠い街だった。
通りすがり?で何度か立ち寄っている街なのだが、泊まりがけでじっくりと探索したことがないだけに、どうせ泊まるなら街イチバンのホテルに。。。などと思ってしまう。
しかし昨今は、どこの街へ行っても、宿泊特化型の廉価なビジネスホテルチェーンが花盛りだ。まあ、それはそれでよく利用するし、決して嫌いではないのだが。。。
そんな中、ここ米沢には、あくまでもフルサービスの「シティホテル」にこだわった宿があった。東京第一ホテル米沢である。
ホテル名に「東京」の冠が付いている点はなんとも鼻につくのだが、このホテルチェーンは、阪神阪急第一ホテルグループのブランド。実は関西資本だったりする。
しかしそこはさすが、歴史はるホテルブランドだけあって、人口10万人規模の地方都市にあっても、しっかりと街の迎賓館?の雰囲気を漂わせている感じがした。
2011年9月には大がかりな改装を実施し、エグゼクティブフロア「鷹山公フロア」なども誕生。宿泊特化型のビジネスホテルとは、あくまでも一線を引く構えだ。
結婚式場や宴会場などを備え、それなりに豪華な内装を必要とする「シティホテル」の経営は、地方都市では決してラクなものではないだろう。
しかしそれでも、街に一軒はこうしたシティホテルは必要だと思った。その街が「文化」や「品格」を保ち続けるためにも。
宿泊予約は
東京第一ホテル米沢
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【PR記事 一度は泊まってみたい宿】 県内随一の交差点角地で、30年前から威容を誇るホテルキャッスル。その存在感の影には、とある「秘話」があった。 山形県山形市
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2017.09.15 Friday 00:00
【PR記事 2017.09.15 一度は泊まってみたい宿】
県内随一の交差点角地で、30年前から威容を誇るホテルキャッスル。その存在感の影には、とある「秘話」があった。 山形県山形市
山形市中心部の目抜き通りは、大雑把に言うと、JR山形駅から東へ直進する駅前通りと、その駅前通りとエル字型にクロスし、古くからの繁華街・七日町へ通じる南北の通りに大別される。
よって、2つの目抜き通りがエル字型にクロスする十日町交差点は、「県内随一の交差点」と言ってよいだろう。
そしてその角地には、30年ほど前からホテルキャッスルという、市内随一のシティホテルが建っていた。
しかしである。
現地を訪れれば、威容を誇るこのホテルが「実際に存在する」ことは一目瞭然なのだが、開業当初からしばらくの間、このホテルは「存在しないホテル」とされていた。
なぜか。
かつて山形には、新聞・テレビ・ラジオ・バス事業などを手中に収め、「山形の天皇」と呼ばれていた実業家が存在した。
その「山形の天皇」が率いる企業グループは、同じ山形市内で「山形の迎賓館」と称する老舗のシティホテルも手掛けており、「山形の天皇」は、この「山形の迎賓館」が随分とお気に入りだったというのである。
当然、この企業グループにとって、当時、後発ながらも「山形の迎賓館」よりも規模が大きく、目立つ場所に建ったホテルキャッスルは、相当に「目障りな存在」だった。
そして、地元メディアを「支配」していたこの企業グループは、ホテルキャッスルの存在を、新聞・テレビ・ラジオから徹底的に「抹殺」することになる。
今となっては真相は明らかではないが、この企業グループは、ホテルキャッスルのオープン告知に関するテレビCMや折り込み広告を全て「拒否」。
市内随一のシティホテルがオープンするとあれば、本来、地元メディアにとって、極めてニュース性の高い情報のはずだ。
しかし、その事実は「報道」されないばかりか、有償の広告さえ出すことが出来なかった。
結果、ホテルキャッスルにとって一世一代の「大々的な告知」は、社員総出のポスティングという「人海戦術」でどうにか間に合わせた、というのである(この一件については、その顛末を明確に記載した「文献」が存在するのだが、ここではあえて伏せておく)。
一方、「山形の迎賓館」を自称する老舗のシティホテルで開催される会合は、たとえ小さなイベントであっても、「ニュース」としてホテル名入りで頻繁に「報道」されていた。
ホテル内にオープンしたレストランに至っては、連日おびただしいスポットCMが流されたほか、地元ニュース番組でも「大きなニュース」として報道されていたことを覚えている。
この間、新聞でもテレビでも、ホテルキャッスルの名を見聞きすることは殆ど無かった。
もちろん、様々な「逸話」を含め、こうしたストーリーは既に過去の話だ。
時は流れ、メディアジャックの「被害者」とされてきたホテルキャッスルも、名称こそオープン当初から変わっていないが、数年前に東京資本へと変わった。
今さら「黒歴史」を掘り起こして何になる、と言われてしまえばそれまでだが、理不尽とも言える逆境の中、30年にわたり、淡々と、静かに品格を保ってきたホテルキャッスルには、やはり、ちょっとした敬意のようなものを感じざるを得ない。
詳細・予約は
ホテルキャッスル
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