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小諸駅から懐古園へ続くこ線橋で、島崎藤村。 【2017年07月 長野県小諸市】
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2017.10.31 Tuesday 00:00
JR・しなの鉄道の小諸駅正面口と、線路を挟んだ駅裏を結ぶこ線橋にて。
こ線橋の壁にはショーケース?のようなものがあって、そのひとつに「島崎藤村」が居た。
普通ならば、商業ポスターやイベント告知など、期間限定のものが掲出されていそうな場所に、普遍的な?島崎藤村が鎮座している姿は、なんだか新鮮に見えた。
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【編集長のつぶやき vol.511】 「酒田大火」から41年。脳裏に焼き付いて離れない「赤くオレンジ色に染まった夜空」。
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2017.10.30 Monday 00:00
2017.10.30
全くもって個人的なお話しですが、この時期、どうしても「思い出さざるを得ない」ことがあります。
それは、1976年10月29日夜から翌30日明け方にかけて、生まれ育ったまちを焼き尽くした大惨事「酒田大火」のこと。
当時、自分は小学1年生。
第一報を知ったのは、夕方6時頃にテレビで放映されたローカルニュースでした。
ニュースの内容は、「酒田市中町の映画館『グリーンハウス』が出火、現在延焼中」というもの。
映像もなく、この時点ではまだ、中心市街地で発生した「小さな火事」の小さなニュースに過ぎません。
しかし、子どもながらに、すでに「嫌な予感」がしていました。
普段は「ご飯」が並ぶ食卓で、この日の夕飯はなぜかチーズトーストだったと記憶しているのですが、気が付くと、恐怖のあまり、そのチーズトーストが喉を通りません。
両親も祖父母も、4つ年上の兄も、「心配するな」と言っていたのですが、残念ながら、7歳の子どもが直感的に抱いていた「嫌な予感」は次々と現実のものとなります。
夜7時台のニュースだったでしょうか。
その「小さな火事」は、近接する百貨店にまで燃え移ったという情報が入ります。
田舎町の小さな百貨店ではありましたが、そこは何度か親に連れていってもらった「夢の場所」。
7歳の子どもにはまさに、「信じられない」ニュースでした。
そして、夜8時台か9時台だったでしょうか。
ここで初めて、荒れ狂う「炎の映像」をテレビのニュースで目の当たりにします。
商店街のアーケードがまさに火の海なのです。
ニュースはもう、全国放送になっていました。
さすがに父も、防災用のヘルメットを被り、火災現場近くにある、知り合いの設計士さんの安否を気遣って現地に駆けつけたのですが、間に合いません。
父と仲のよかった設計士さんの事務所は、すでに焼け落ちていました。
こうしている間にも、懸命の消火活動を嘲笑うかのように、台風並みの暴風に煽られて巨大な怪物と化した炎は、まちを飲み込むように広がっていきます。
窓の外を見ると、暗闇の夜空のほぼ下半分が、赤くオレンジ色に染まっていました。
子どもはもう寝る時間です。
ランドセルや衣類など、「逃げる準備」をして布団に入りました。
祖父と祖母は、「大丈夫。大丈夫、線路もあるし。」と言って、怯える孫を安心させようとします。
その「線路」とは、中心市街地と住宅街の間にあって、広い車両基地や機関区を有する、言わば延焼を食い止める大きな広場のこと。
確かに、地理的な環境や風向きを考えれば、祖父と祖母が言っているとおりだったのですが、間近に迫るあの異様な空の色は、とても「対岸の火事」には思えませんでした。
この時点でテレビはほぼ一晩中、現場中継です。
「戦後未曾有の大火」という、「嫌な予感」は、「悪夢」として現実のものとなってしまいました。
もう何時か分かりません。
何度か目が覚めました。
何度窓の外を見ても、夜空は赤くオレンジ色に染まったままです。
現地に直接行っていたワケではありませんが、消防、警察、市役所、自衛隊、電力会社、ガス会社、そして住民とその親戚など、あらゆる人たちが「炎」という巨大な怪物と格闘していた「空気感」は、一晩中、ダイレクトに伝わっていました。
こうなると、地元の消防だけでは手に負えるレベルではありません。
隣接する県内の他地域や、県境を超えて秋田県からも「応援」が駆け付け初めていました。
明け方近くだったでしょうか。
「怪物」の行く手に流れる新井田川を最後の防波堤にする、といった旨の報道がありました。
ここに至るまで、何度となくギリギリの選択があったことでしょう。
新井田川とは、当時通っていた小学校にも隣接する、穏やかな、それほど大きくはない、見慣れた川です。
「怪物」がまき散らす火の粉は一部、新井田川の対岸にまで達していました。
この穏やかな新井田川からの「全力の放水」に、自分も含め、多くの市民は祈りのようなものを捧げていたことでしょう。
「怪物」の絶命=鎮火を知ったのは、翌朝目が覚めてからのことです。
朝のニュースで映し出された焼け跡の映像は、戦争を知っている世代の人曰く、火災現場ではなく「空襲の跡」でした。
幸いにして、自宅も通っていた小学校も被災は免れましたが、翌日は、被災したクラスメイトの多くが普段通り通学。
あのとき、子どもに課せられた「仕事」は、「元気に学校に通うこと」だったのかも知れません。
そしてこの日から、「復興」へ向け、市民の格闘が始まりました。
弊社が「まちおこし」を看板に掲げているのは、このときの体験が大きく影響しています。
あれから40年以上が経過していますが、闇夜で赤くオレンジ色に染まったあの空は、生涯焼き付いて離れないことでしょう。
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曇天の中、宿毛市の中心市街地。 【2016年05月 高知県宿毛市】
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2017.10.26 Thursday 00:00
宿毛市の中心市街地にて。
距離的には宿毛駅よりも、1駅手前の東宿毛駅の方が近い。
この写真だけを見ると、匿名の地方中小都市の市街地といった印象。
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【編集長のつぶやき vol.510】 2020年夏、ついに夜行列車が復活!そのとき、旅行会社と夜行高速バスが取るべき道とは?
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2017.10.25 Wednesday 00:00
2017.10.25
さて前回は、寝台車でないにしても、週末や多客期に「旅行会社が仕掛ける夜行列車」が本格的に復活する日は、もしかしたら近いのかも知れません、というお話で締めくくったのですが、実は「寝台車でないにしても」という部分については、既に明らかになっている発表があります。
それは、今年6月21日に行われた、JR西日本の「社長定例会見」でのこと。
会見の内容は、最近の営業・輸送概況、2016年度安全管理体制に対する第三者評価結果、新たな長距離列車の導入の3つです。
JR西日本では昨年11月末に、「構想段階」としながらも、夜行列車の復活について言及していたのですが、6月の定例会見では、ついにそのベール?がはがされました。
その内容とは、2020年夏(予定)までに、京阪神〜山陽方面・京阪神〜山陰方面間で、「新たな長距離列車」を運行するというものです。
車両は、既存車両を改造し、一般座席車・グリーン車・コンパートメント車・フルフラットシート車に加え、フリースペース車の計6両編成で構成。
リーズナブルな価格設定としながらも高い快適性を提供して、「カジュアル」と「くつろぎ」の両立を目指すとしています。
「夜行列車」とは言っていませんが、その運行区間や、会見で発表された列車イメージからすると、夜行列車であることはほぼ間違いないでしょう。
販売手法等については、一般の定期列車なのか、多客期のみの不定期列車・臨時列車なのか、クルーズ列車のような「旅行商品」になるのかは不明ですが、「『気軽に』『自由に』ご利用いただける『新たな長距離列車』」と言っている以上、限定的で特殊な旅行商品という線は薄そうです。
とは言え、前回つぶやいた「旅行会社が仕掛ける夜行列車」が一定の販売力を有しているワケですから、「新たな長距離列車」を旅行会社が扱わない手はありませんよね。
6両編成規模で、寝台車ではなく、座席車中心の比較的リーズナブルな夜行列車。。。
あれれ?と思った人もいるでしょう。
当サイトでは昨年2月、夜行列車の「復活」〜そもそも「需要」はあるというつぶやきを掲載していました(笑)。
当時のつぶやきでは、鉄道ライターの伊原薫氏による試算を交え、首都圏〜京阪神間という「大きなパイ」では、「座席車中心の比較的リーズナブルな夜行列車」は十分に採算性がある、というお話をしていたのですが、6月にJR西日本の定例社長会見で明らかになった「新たな長距離列車」の運行区間は、それよりもさらに小さな市場です。
となると、「座席中心の比較的リーズナブルな夜行列車」の市場規模は、想定されているよりも大きいのかも知れません。
そこで気になるのは、夜行列車を一度は市場から退場させた?夜行高速バスとの競合ですが、ご承知のとおり、こちらの業界は現状でもドライバー不足が深刻で、その状況は今後もほぼ間違いなく拡大します。
こうした夜行高速バスを運行している会社の多くは、もともと「旅行会社」なワケですから、夜行列車と夜行バスが競合する区間では、バスと鉄道の両方が選択できる商品を販売するなど、立場上、モーダルシフトに移行し易いはず。
今後は、夜行列車と夜行高速バスが、「競争」ではなく、いかに「協調」できるのかが、市場の健全な発展という点では、大きな鍵になると思いました。
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駅舎を圧倒する大きさ?長岡京駅前の村田製作所本社ビル。 【2017年08月 京都府長岡京市】
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2017.10.24 Tuesday 00:00
JR長岡京駅西口の景観。
建物を模した駅舎の向こうにそびえ立っているのは、東口のほぼ正面に建つ、村田製作所の本社ビル。
さほど大きくはない駅の真ん前に、大きな企業の本社ビルが忽然と建っている姿は、思いのほか新鮮。。。
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